就活生がスーツを脱いだら

21卒の独白。NNT。

21卒、NNT。未だ社会的価値なし子さん。

 

 「内定」というたったこの二文字に振り回され、嘆き、絶望の毎日。

 

 だらしなく昼夜逆転した生活。ベッドの中、昼下がりの光をカーテン越しに浴びながら、眠りと目覚めの狭間でむりやりに目を開ける。かすかなスマホの振動で眠りの淵から引き揚げられたからだ。メールの受信のようだった。なんとなく受信履歴を見る。これはもう一種の病気なのである。スマホ依存とはいいがたい、就活依存というべきか。スクロールをすれば某大手就活サイトからのメールが一通。私は飛び起きた。急いで就活用のアプリを立ち上げ、メッセージ欄をチェックする。また、お祈りだった。もうかれこれ何通お祈りしていただいただろうか。

 御社たちのお祈りの力が足りないからか、果たして私が価値のない人間だからか、一向に御社に主従できないようだった。人間というものは、一度レールから外れた人間を見る目は非常に冷たい。私はそれを知っている。だからこそ、そうならない側の人間になるために生きてきた。みんなの人生の、「普通」のレールに歩めるように。通知表の6から8になるように生きてきた。親の力を借りながら、何とか普通のレールをここまで歩んでいたのに。今はもう先は見えない。真っ暗だ。私はこれまでどれだけ親にお金をかけてもらった?生まれたすぐその瞬間から子供というのはとにかく金がかかる。子供はいわゆる金の化身だ。学校へ入学、卒業、通学、一人暮らししている私への仕送り。それだけじゃない。授業料、入学金、高校の時の短期留学計100万以上。無駄に私立の高校に通いたくなり地元じゃ一番の授業料。私一人を同じように育てるにはきっと何億とかかっているのだろう。これは自慢ではない。悲観だ。私はどれだけコスパの悪い人間なんだろうという。人の皮をかぶったナマケモノであろうか。これだけ親に金をかけてもらってもなお、私のレッテルは社会的価値なしだ。情けない、その一言しか出てこない。こんな娘で申し訳ない。こんな社会的価値なしの、でき底内でとにかく申し訳ない。謝ったところで哀れんだところで、何も生まれない。そんなのはわかってる。でも、私はそれ以上に悲観する時間が必要なのだった。

 父のメールを思い返す。あれは私が就職がうまくいかないと気づきだした時だった。ああ、このままでは、と気づいた時に父にメールを送ったのだった。内容としては、就活がうまくいかなそうだ。自分なりにやってはいるがうまくいかなそうだ。こんなに情けない娘で申し訳ない。というものだ。

 父は自営で地元で小さな会社を経営している。いわゆるガテン系の兄ちゃんが働いているような仕事で、私が生まれて少しして独立し、今の会社ができたようだった。幸いなことに父の仕事一本でうちの家は回っている。でもそのかわりに父は一年の半分以上は寝る間を返上して働いている。私はそれを知っている。自室に戻り、顧客の家の間取りを見ながら何かを計算しているところ、顧客への書類作成をしているところ、同業者への連絡…。父は、表面的には見えない裏の仕事も行っていた。責任者として、現場の仕事以外もずっと仕事だった。私はその姿を小さいころから見てきた。だからこそ、就職できないことがつらかった。こんなに父が働いてくれて、こんなにお金をかけてもらって、社会的価値なしなのか、と。

 「内定」のたった2文字。この2文字の未来へのチケットを手に入れる。その過程の中で私の自尊心がなくなっていくのは遅くなかった。もともとそこまで私は自分に自信があるタイプではなかった。この渦巻いていく自分の感情と、無機質な会社のメール、感情を殺して面接をし、友達には無邪気に話す。本当の自分がどこにいるのか、本当の私はどんな顔を持っているのか、わからなくなる時がある。部屋に引きこもることも多くなった。突然、未来が不安になって、プレッシャーと情けなさとやるせなさと、いろんな感情が私をかき回してぐちゃぐちゃにして、涙が出てくる。時には吐いたり、寝起きに幻覚を見てしまうこともあった。誰も頼れる人もいなくて、誰かに話しても結局は他人事で、みんな自分の幸せしか願っていない。私の話は自分を鼓舞する踏み台となる。そんな気がする。それでも、久々の晴れの日には嬉しくなって布団を干した。私は安心した。私はまだ、太陽を喜べる情緒なんだって。その日だけはなんとなく救われたような、穏やかな気持ちになれた。それでも、次の日には元通りだった。

 私はどうやって生きて行くんだろう。全く未来が見えない。こうなったのは、やりたいことをやりたい、仕事にしたいと考えていた私が悪かったのか?エントリー数が少なかった私が悪かったのか?リスクヘッジを考えずに行動した私が悪かったのか?きっとすべてが当てはまるだろう。すべてを選んだことに理由があるにせよ、決めて、行動していた私が悪いんだ。時に人は、考えすぎるなと言う。逃げてもいいんだって言う。でも、それは結局は他人事だからだ。そんな風に私に言った人は私の未来に責任を持ってはくれない。結局は自分の未来は自分で背負っていかなくちゃいけない。